SISKAの備忘録

歴史年表、妄想

F1世界選手権年表 1946~2019

1946
国際自動車連盟FIA)の国際スポーツ委員会(CSI)が「自然吸気式4,500cc、過給式1,500cc」の車両を単座席レーシングカーの最上位クラスに位置づける

1947
新規定下でグランプリが再開される
エンツォ・フェラーリ、スクーデリア・フェラーリを設立

1949
世界各国のグランプリからプライオリティの高い数戦を選手権対象レースに指定し、ドライバーズポイントの年間合計により年度の優勝者を決める「世界選手権」構想が固まる

1950
F1世界選手権開始

1951
イギリスGPフェラーリが初優勝
資金難によりアルファロメオ撤退

1954
エンジン排気量を「自然吸気式2,500cc、過給式750cc」とする新規定が施行
メルセデス・ベンツが復帰
オノフレ・マリモン事故死

1955
ル・マン24時間で大事故を起こしたことにより、メルセデスが撤退
アルベルト・アスカリ死去

1956
ブガッティのミッドシップマシンがフランスGPに出走

1957
コヴェントリー・クライマックスがクーパーへのエンジン供給を開始

1958
ヴァンウォールが新設のコンストラクターズ選手権で優勝
ロータス参戦
ルイジ・ムッソ事故死
ピーター・コリンズ事故死
スチュワート・ルイス・エヴァンズ事故死
ファン・マヌエル・ファンジオ現役引退

1961
ウォルフガング・フォン・トリップス事故死

1962
ロータス、「25」にバスタブ型モノコック構造を投入
ブラバム参戦

1963
マクラーレン参戦

1966
ジョン・テイラー事故死

1967
ロータス、「49」にコスワース「DFV」エンジンを搭載
ロレンツォ・バンディーニ事故死

1968
ジム・クラーク事故死
ジョー・シュレッサー事故死
ロータス、インペリアル・タバコとスポンサー契約
マトラ参戦

1969
ウイングについて、「走行中の可変は禁止」「ボディに固定」という原則と、高さ・幅などの範囲がルール化された

1970
ヨッヘン・リント事故死
ブルース・マクラーレン事故死
バーニー・エクレストンブラバムのオーナーになる
ロータス、「72」でサイドラジエーターを採用
ティレル参戦

1973
ロジャー・ウィリアムソン事故死
フランソワ・セベール事故死

1974
F1製造者協会(FOCA)設立
ロータス、「76」に電磁クラッチによるセミオートマチック変速を採用

1975
グラハムヒル死去

1976
ティレルが六輪車P34を投入

1976
ニキ・ラウダニュルブルクリンクで瀕死の重傷を負う

1977
ルノーがターボエンジン搭載の「RS01」で参戦
ロータスが「78」にグラウンドエフェクトを導入
ウィリアムズ再参戦
トム・プライス事故死

1978
バーニー・エクレストンFOCA会長に就任
国際自動車スポーツ連盟(FISA)設立、ジャンマリー・バレストルが会長に就任
スーパーライセンス制度の導入
ロニー・ピーターソン事故死

1980
ロン・デニスが「プロジェクト4」とマクラーレンを合併

1981
FISAFOCA間でコンコルド協定締結
カスタマーシャシーの禁止
マクラーレン、「MP4/1」にカーボンモノコックシャーシを採用

1982
ジル・ヴィルヌーヴ事故死
リカルド・パレッティ事故死
コーリン・チャップマン死去
国際モータースポーツ殿堂設立

1983
フラットボトム規定が導入、グラウンドエフェクトが禁止
六輪車、四輪駆動が禁止
ポルシェ、マクラーレンにターボエンジンの供給を開始
ホンダ、スピリットにターボエンジンの供給を開始

1984
ティレル水タンク事件

1986
エリオ・デ・アンジェリス事故死

1987
コンコルド協定改訂、エクレストンが設立したFOPAがF1の商業権を掌握
日本のフジテレビがF1全戦の地上波中継を開始

1988
エンツォ・フェラーリ死去
エイドリアン・ニューウェイ、マーチ881を設計

1989
ターボエンジンが禁止、3.5L自然吸気エンジンに統一
フェラーリ、「640」にセミオートマチックトランスミッションを投入
ルノーがウィリアムズにV10エンジン「RS1」を供給

1990
ティレル、「019」でアンヘドラル(下反角)・ウイングを採用

1991
マックス・モズレーFISA会長に当選

1992
ウィリアムズ、アクティブサスペンションとトラクションコントロールを導入
ホンダ撤退

1993
FIAFISAを吸収、モズレーFIA会長となる

1994
ドライバーの補助となる電子制御が大幅に規制される
レース中の給油を解禁
ローランド・ラッツェンバーガー事故死
アイルトン・セナ事故死

1995
メルセデスベンツマクラーレンへのエンジン供給を開始

1998
グッドイヤー撤退

2000
BMW、ウィリアムズへのエンジン供給を開始
エンジン形式をV10に統一

2001
ミシュラン復帰
メーカー系団体としてGPWC設立、F1に代わる新シリーズ構想を発表

2002
トヨタ参戦
フェラーリチームオーダー事件

2003
トヨタゲート事件

2005
レッドブル参戦
GPWC解散、GPMA設立
「インディゲート」事件

2006
ミハエル・シューマッハ現役引退

2007
マクラーレン・スパイゲート事件

2008
リーマンショック
ホンダ撤退、チームをブラウンGPに譲渡
フォーミュラワン・チームズ・アソシエーション(FOTA)発足
フォース・インディア参戦

2009
運動エネルギー回収システム(KERS)導入
ジャン・トッドFIA会長に当選
トヨタBMW撤退
黒人ドライバーのルイス・ハミルトンに対する人種差別事件
ルノー・クラッシュゲート事件
マクラーレン・ライゲート事件

2010
ブラウンGPを引き継ぐ形でメルセデスワークスが復活
ロータス名義のチームが2つ復活(後のケータハムルノー)
ブリジストン撤退

2011
フェラーリマールボロのスポンサー契約が終了
可変リアウィング(DRS)導入

2014
エンジン規定がV6ハイブリッドターボに変更
ジュール・ビアンキがクラッシュで昏睡、9ヶ月後に死亡
FOTA解散

2015
マックス・フェルスタッペンが16才でスーパーライセンスを発給される

2017
リバティメディアがフォーミュラワングループを買収、エクレストンがCEOを引退

2018
HALOの装着が義務化
フォースインディア経営破綻、レーシングポイントに転換

2019
ファステストラップポイントが復活
ニキ・ラウダ死去

2020
新型コロナウイルス感染拡大の影響により7月まで開幕が遅延、モナコや日本など複数のグランプリが延期・中止