SISKAの備忘録

歴史年表、妄想

「日本語は人造語だ」という記事から、キャロルを思う。

日本語は人造言語で、平安期にあってもなお文体は実験段階だったそうだ。
紀貫之が土佐物語冒頭に記した「男もすなる日記というものを、女もしてみんとてするなり」という一文。
これは、男性の言葉=公の言語=漢文で書かれていた日記を、女性の言葉=内輪の言語=日本語で書くという試み。
すなわち漢文で書かれてきた散文・叙事を、韻文・叙情に用いられてきた日本語で書くという試みの宣言である。
そういう考察をしていた。
私には現代の日本において似たような働きをしたであろう人が思い浮かんだ。
ジョニー大倉という人だ。
彼は日本ロック界における伝説のバンド、キャロルのギタリストであり、また多くの曲の作詞を行った。
彼の作詞家としての業績で有名なものが、日本語と英語のチャンポン化だ。
彼の登場する1970年代において、日本のロック・ミュージックは未だ黎明期。日本人が作った歌でも歌詞は大体の場合において英語だった。それは先駆者たちが「アメリカの音楽に日本語で詞をつけても合わない」と考えたからだ。
しかしキャロルの場合。ボーカリストである矢沢永吉が曲を書き、ジョニー大倉が詞をつける。その際、日本語でつけた詞ではどうしても合わないところに、矢沢は適当な英語を入れた。ジョニーはそれをそのまま歌詞に取り入れた。そして完成した曲は見事日本人の聴衆に受け入れられた。
今も日本で作られ続ける和英チャンポンの歌詞。
その元祖たる現代の土佐物語がキャロルの曲であり、
「英語ですなるロックというものを、日本語でもしてみんとて」した
ジョニー大倉は、現代の紀貫之である。